映画『ルパン三世 カリオストロの城』を観て、「これってジブリ作品?」と疑問に思った方も多いはず。確かに、絵のタッチやヒロインのクラリス、美しい自然描写、機械の動きやテンポの良いアクションなど、どこか“ジブリっぽい”。
結論から言うと、『カリオストロの城』は、スタジオジブリ作品ではありません。
とはいえ、「なぜジブリのように感じるのか?」「なぜ宮崎駿がルパンを監督したのか?」など、知れば知るほど面白い背景がたくさんあります。この記事では、『カリオストロの城』とジブリ、そして当時の宮崎駿監督について、わかりやすく解説していきます。
この記事の目次
『カリオストロの城』はジブリ作品ではない
まず大前提として、『カリオストロの城』(1979年公開)はスタジオジブリの作品ではありません。制作は「東京ムービー新社」(現在のTMS Entertainment)であり、スタジオジブリが設立されるのはそれより6年後の1985年です。
しかし、ジブリ作品のような雰囲気を感じるのは当然のこと。なぜなら、監督・絵コンテを務めたのが、後にジブリを立ち上げる宮崎駿だったからです。
なぜ“ジブリっぽい”のか?
『カリオストロの城』には、後のジブリ作品に通じる“宮崎駿らしさ”が随所に表れています。
- ヒロインのクラリスは、『天空の城ラピュタ』のシータにそっくり
- 中世ヨーロッパ風の街並みや自然、空に浮かぶような建物などの世界観
- 機械描写の細かさや、人力で動かすような古めかしいギミック
- セリフよりも動きと映像で語るアクションシーン
さらに、この作品には後のジブリ作品を支えるアニメーターやスタッフも多く参加しており、“ジブリの原点”とも呼ばれているそうです。
当時の宮崎駿はすでに有名だったのか?
『カリオストロの城』が公開された1979年、宮崎駿は38歳。まだ「ジブリの巨匠」として有名になる前で、この作品こそが宮崎監督にとって初の劇場映画監督作でした。
それまで彼は、アニメーターや演出家として多くの作品に携わってきました。中でも有名なのが、NHKで放送された『未来少年コナン』(1978年)。この作品で監督としての手腕を発揮し、業界から高く評価されていました。
ただし、一般的な知名度はまだまだ低く、名前を知っている人はアニメマニアくらい。
『カリオストロの城』も公開当時は興行的に大ヒットしたとは言えず、後に再評価された作品です。
なぜ宮崎駿はルパンを監督したのか?
宮崎駿が最初に『ルパン三世』に関わったのは、1971年放送のテレビシリーズ『ルパン三世 PART1』の後半からでした。当初の作品は原作に近いハードボイルド路線でしたが、視聴率が振るわず、制作現場に大きなテコ入れが入ります。
その中で、監督交代があり、宮崎駿、高畑勲、大塚康生の3人が急きょ現場に投入され、方向性の大幅な転換が図られました。
宮崎駿自身は当時の制作を「満足のいくものではなかった」と語っていますが、第11話「7番目の橋が落ちるとき」や第21話「ジャジャ馬娘を助けだせ!」といったエピソードでは、“ナイトのようなルパン”が少女を救うストーリーが描かれており、これは『カリオストロの城』や後のジブリ作品へとつながる原型ともいえる描写です。
また、ルパンがフィアット500に乗るようになったのもこの時期で、これは作画監督・大塚康生の愛車だったことに由来しています。
その後、『未来少年コナン』での成功を経て、劇場映画第2作目となる『カリオストロの城』で宮崎駿が正式に監督として抜擢されることになったのです。
原作者・モンキーパンチとの関係
しかし、宮崎ルパンは、原作者モンキーパンチが描くルパン像とは大きく異なります。
宮崎ルパンは、原作者モンキーパンチが描くルパン像とは大きく異なります。原作ではルパンは、女好きで悪党寄り、殺しもするクールな大人向けキャラ。対して、宮崎版ルパンは「子どもにも好かれる優しい泥棒」=義賊的キャラクター。
モンキーパンチは当初、宮崎ルパンに違和感を覚えたと語っています。特に『カリオストロの城』のルパンは「やさしすぎる」とも言われました。
しかし最終的には「これはこれでアリ」と柔軟に認めており、お互いの表現に対するリスペクトが感じられる関係でした。宮崎駿の解釈による“もう一人のルパン”が、多くの人に愛されるようになったことは、原作とアニメの幸せな共存と言えるかもしれません。
『カリオストロの城』がジブリ設立に繋がった?
現代のカリオストロの人気を考えると信じられませんが、『カリオストロの城』は公開当時は大きなヒットにはなりませんでした。
1979年12月に公開された本作は、当時の映画業界でまだ「アニメ映画=子ども向け」という認識が強く、大人が劇場でアニメを見ることに抵抗感がありました。また、同年には『銀河鉄道999』や『機動戦士ガンダム』といった大ヒットアニメ映画の影に隠れ、興行収入的にも振るわなかったのです。
しかし、一部の映画評論家やアニメファンの間では早い段階から高く評価され、1980年代以降のビデオ化やテレビ再放送を通じて徐々に人気が拡大。特に1984年の『風の谷のナウシカ』、そして1985年のスタジオジブリ設立以降、宮崎作品の再注目とともに『カリオストロの城』も再評価され、“伝説のアニメ映画”という位置づけを獲得しました。
この作品の成功と評価がなければ、『風の谷のナウシカ』も、スタジオジブリの設立もなかったかもしれません。
カリオストロだけじゃない宮崎ルパン
➡️第155話「#さらば愛しきルパンよ」の演出、脚本を「照樹務(てれこむ)」の名義で手掛けたのです☺️#ルパン三世 #金曜ロードショー pic.twitter.com/9S8wSDxdBe
— アンク@金曜ロードショー公式 (@kinro_ntv) October 15, 2021
実は、『カリオストロの城』の後も、宮崎駿監督はルパン三世に再び関わっており、
テレビシリーズの第155話「さらば愛しきルパンよ」で、印象的な“ロボット兵”を登場させています。
このロボットは、その後のスタジオジブリ作品『天空の城ラピュタ』に登場する「ラピュタのロボット兵」に非常によく似ており、ファンの間では「ラピュタの原型」として語り継がれています。
カリオストロで描かれた「正義のルパン」や「守るべき少女との絆」といったモチーフ、
そして“巨大な機械と人間の関係”というテーマは、後のジブリ作品へと静かに引き継がれていったようです。
終わりに|『カリオストロの城』はジブリの“始まりの物語”
『カリオストロの城』はスタジオジブリ作品ではありません。
けれどその中には、後のジブリ映画で何度も繰り返されるテーマ――
「少女を守るヒーロー像」や「古代の機械文明」「善と悪の境界を問う物語」が、すでに芽吹いています。
この作品がなければ、『風の谷のナウシカ』も、スタジオジブリの誕生もなかったかもしれません。
当時まだ商業的に成功とは言えなかったこの映画が、
のちのジブリの「原点」としてこれほど愛されるようになったことは、
アニメ史の中でもひとつの奇跡です。
もし『カリオストロの城』をまだ観ていないなら、
それは単なるルパン映画ではなく、「ジブリの始まりを告げた物語」としてぜひ観てみてください。