『るろうに剣心』に登場する桂小五郎について解説します。
桂小五郎は実在する人物ですが、原作ではどんな人なのでしょうか。人物像に加え、結末や剣心との関係についてネタバレでまとめました。
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この記事の目次
るろうに剣心の桂小五郎はどんな人?
『るろうに剣心』の桂小五郎はどんな人なのでしょうか。
ここでは、剣心との関係について深掘りする前に、まずは桂小五郎がどんな人かを整理していきましょう。
実在の人物
前提として、桂小五郎は『るろうに剣心』のオリジナルキャラクターではなく、実在した人物です。
『るろうに剣心』は幕末から明治時代を描いた作品であり、その時系列での歴史上の人物は多数登場しています。
そもそも、剣心のモデルが実在した剣客の河上彦斎であるため、『るろうに剣心』はオリジナルストーリーながらも、実際の歴史をベースに設定された描写が多いです。
剣心の仲間や敵はオリジナルキャラクターが多いですが、斎藤一、沖田総司、大久保利通、高杉晋作など、政府に関する要人は実在の人物で固められています。
それでは、桂小五郎の経歴と実績を記載していきます。
まずは『るろうに剣心』関係なく、歴史の教科書に載っている内容をまとめています。
経歴
桂小五郎は天保4年(1833年)に山口県萩市に生まれます。
10代の頃から長州藩の将来を背負う人物として注目され、いつかしか長州藩のの尊攘派のリーダーへと成長していきます。
尊攘派とは、天皇を尊んで外国人を打ち払っていく立場であり、大政奉還と新国家の建設を目指す立場(=反幕府)にありました。
これは『るろうに剣心』でも描かれていますが、幕末から明治の日本は「幕府」と「反幕府」の対立が激しい時代でした。
簡潔に言えば、日本を統一していた「幕府」に不信感を募らせた人々が集まり「反幕府」派が台頭してきます。
「反幕府」の筆頭勢力で有名なのが長州藩、薩摩藩、土佐藩。そして、桂小五郎は長州藩のリーダーとして倒幕を実現し、新政府の樹立に貢献します。
改名の理由
時系列が少し戻りますが、桂小五郎は幕府から指名手配を受けていたため、1868年に「木戸孝允」に改名しています。
入藩当初は桂小五郎であり、長州藩はそのままの氏名で要職につけたかったようですが、指名手配を受けていては何かと不利になります。
そのため、表向きは「桂小五郎は失踪した」とし、長州藩には木戸孝允という新参者が入ったことにすれば、幕府からも狙われる心配はありません。
桂小五郎と木戸孝允は同一人物ですが、上記の理由により途中で改名しています。
実績
桂小五郎の一番の実績は、長州藩のリーダーとして倒幕を行い、新政府を設立したことでしょう。
新政府では「総裁局顧問、外国事務係、参与」の役職として、「五箇条の御誓文」の起草に一役買った人物です。
しかし、その後は大久保利通の独裁に嫌気がさし、新政府とは一定の距離を置いたようです。
それでも、明治維新の中心人物として、新時代を創設した実績は揺るぎないもといえるでしょう。
【るろうに剣心】桂小五郎と剣心の関係
[the_ad id="5494"] 『るろうに剣心』の桂小五郎は、剣心とどのような関係にあったのでしょうか。結論から説明すると、桂小五郎は剣心を人斬りに任命した張本人です。
では、桂小五郎と剣心は同関係していくのか、順を追って説明していきます。
剣心と奇兵隊
桂小五郎と剣心の関係については、剣心側の時系列で説明した方がわかりやすいです。
剣心は14歳の時(1863年)に、幕府と反幕府の動乱から人々を救うために山を降り立ちます。
この決断により、剣心は師匠の比古清十郎と仲違いをし、物語で描かれた通り最終奥義を習得することなく、明治時代を迎えています。
当時の剣心の考えは、動乱の原因は幕府によるところが大きく、そこを制圧することで新時代を切り開けると決意していました。
そんな剣心が向かった先は、長州藩の奇兵隊の試験場です。長州藩は、本文冒頭で説明した通り、桂小五郎が主要人物として所属していた藩です。
剣心は、長州藩の奇兵隊の試験場にて双龍閃で巻藁を粉砕し、桂小五郎に一目置かれる存在となります。
『るろうに剣心』物語では、同じく実在した高杉晋作も登場しており、高杉もまた剣心の双龍閃に驚いていました。
人斬りに任命
剣心の強さをその目で確認した桂五郎は、剣心を人斬りに任命します。
剣心の役目は幕府の要人を暗殺すること。表立って長州藩が動くと混乱を招くため、裏で暗殺させるために剣心を使っていました。
桂五郎は剣心に人斬りを任せて以降は、自分は決して血に汚れないことを誓い、刀を抜くことはありませんでした。
剣心を人斬りに任命した日、『るろうに剣心』の作中で、桂小五郎と高杉晋作は下記の会話をしています。
高杉晋作「どんなに危険な死地に追い込まれようと 後世に男として恥ずべき汚名を残すような立場に落ちようと 今後一切、決して自分の刀を抜くんじゃねぇぞ」
桂小五郎「言われなとも百も承知 今日が「剣客・桂小五郎の命日だ」
理知的な性格であり、剣心からの信頼も非常に厚い存在でした。
今の時代であれば「人斬りを任命」したという点で悪役になりますが、当時ば幕府と反幕府の動乱の真っ只中であり、鎮火するためにはやむを得ない手段だったといえるでしょう。
「やらないと、やられる」ような世の中が出来上がっていたため、相当な強さを誇る剣心を人斬りに任命したわけです。
優れた人物像
剣心に人斬りを命じたものの、精神的に追い詰められていく剣心を誰よりも気にかけていました。
桂五郎としては新政府を実現させるために剣心に命令する立場でありいていましたながら、桂個人としては剣心の気持ちを誰よりも気かけていた存在でした。
巴に剣心と夫婦になることを薦めた人物でもあり、剣心にとっては桂五郎との出会いにより大きく人生が転換したといえます。
一方で、剣心の桂小五郎のリーダーシップを非常に頼りにしていました。
長州藩内に裏切り者がいると感じた剣心は、桂の身を案じて護衛につこうかと提案していました。
その時、剣心は言葉には発していないものの、
この先……狙われる人物の筆頭はこの人……一刻も早く裏切り者を探し出さないと大変なコトになる
一つ間違えれば、歴史の流れが最悪の方向に向かう!!
と心の中で感じていました。
【るろうに剣心】桂小五郎の結末をネタバレ
『るろうに剣心』で描かれた桂小五郎の結末をネタバレします。
結論から述べると、桂小五郎の結末は描かれていません。
桂五郎は剣心と池田屋事件を最後に別れており、以降は次の人斬り(つまりは志々雄真実)を任命はしていますが、どのような結末を迎えたか明確な描写ありません。
剣心の回想から、原作では少しだけ桂の最後に触れられていました。
桂小五郎は明治後
それまでの激務の反動か床に伏せることが多くなり
西南戦争の最中 この年の五月 脳病で他界する臨時の言葉は「もう大抵ににせんか西郷」
死のその寸前までこの国の未来を暗示続けていた
実際の桂小五郎は明治時代まで生き、最終的には大久保利通の体制に不満を抱いたため、徐々に新政府から離れていきました。
歴史上では、明治10年の西南戦争の最中に病没しています。(「るろ剣」での桂小五郎は、実在の桂小五郎と同じ結末を迎えています)
『るろうに剣心』では病没シーンまで描かれておらず、剣心が人斬りから離れた時から出番はなくなり、自然とフェードアウトしていった登場人物でした。
【るろうに剣心】桂小五郎の原作と映画の違い
『るろうに剣心』の桂小五郎ですが、原作と映画では大きな違いありませんでした。
結末でいえば、原作では先ほど記載した通り桂小五郎が死亡した経緯まで記載されていますが、映画ではそこはありません。
映画では最後に剣士と再会し、これからは遊撃志士との活動を命じて去っていきます。
桂小五郎の役割や演出は非常に原作に忠実でした。
違いをあげるとすれば、映画の桂小五郎の方がちょっと雰囲気が柔らかく、ふわふわしている感じがします。これは演じた高橋一生のキャラクターなのかもしれませんね。
原作の桂小五郎はもう少し厳格そう雰囲気であり、生徒会長のような凛々しさが際立っていました。
他にも、映画『るろうに剣心 最終章 The Beginning』が原作と違う点をまとめました。全部で10個もありましたが、わかりましたか?
まとめ
今回は、
●るろうに剣心の桂小五郎はどんな人?
●【るろうに剣心】桂小五郎と剣心の関係
●【るろうに剣心】桂小五郎の結末をネタバレ
●【るろうに剣心】桂小五郎の原作と映画の違い
これらについてまとめました。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
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