『るろうに剣心』に登場する沖田総司の強さを考察します。
沖田総司は新選組一番隊組長として実在する人物ですが、作中ではどれほどの強さなのでしょうか。
『るろうに剣心』の瀬田宗次郎との関係についてもネタバレで解説しました。
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この記事の目次
るろうに剣心の沖田総司の強さ
『るろうに剣心』の沖田総司の強さを考察します。
前提として、沖田総司は実在した人物です。
『るろうに剣心』は歴史上の人物が多数実名で登場していて、剣心と共に行動する斎藤一も沖田と同じ新選組に所属していました。
ここでは、沖田総司の経歴を振り返り、強さについて深掘りしていきましょう。
新選組の組長
沖田総司は天保13年(1842年)生まれであり、後の新選組の一番隊組長です。
新選組とは幕府側の部隊であり、動乱する京都の治安維持を目的に結成され、主に攘派志士の弾圧活動を行っていました。
局長の近藤勇を頂点し、副長、総長、参謀と続き、戦闘部隊として一番隊から十番隊まで存在しています。
「一番隊組長」の沖田は相当な手練れであったといわれていて、その実力は局長の近藤勇以上ともいわれています。
二番隊組長の永倉新八は後年、下記のように語っていたようです。
「土方歳三、井上源三郎、藤堂平助、山南敬助などが竹刀を持っては子供扱いされた。恐らく本気で立ち合ったら師匠の近藤もやられるだろうと皆が言っていた」
つまり、実際の歴史上、相当な強さだった人物であるため、『るろうに剣心』の世界観でもそれは引き継がれているといえるでしょう。
沖田総司の技
沖田が得意にした剣技は「三段突き」です。
「三段突き」とは、刀で斬りにかかる際に踏み込みの音しか聞こえないにも関わらず、その間に三発の攻撃を繰り返す技です。
相手からすれば、沖田が踏み込んだ刹那の瞬間に一撃をくらい、立て続けに二撃、三撃をくらうということ。沖田は目にもとまらぬ攻撃で相手を打ち砕いていたようです。
剣心の回想
沖田総司の強さについては、原作で剣士も下記のように語っています。
「幹部級、特に一、二、三番隊の組長は文句なしに強かった」
「一と二、そして三番の組長とは幾度か一対一で闘ったが、結局決着は着かずじまいでござった・・・」
桂小五郎に仕えていた剣心は新政府側の人間であり、新選組とは敵対する立場にいました。
つまり、剣心は沖田総司と真剣勝負を繰り広げてた関係であるため、剣心と同等であることは間違いないでしょう。
斎藤一が剣心とほぼ互角、もしくは剣心の方が少し強いほどであるため、沖田総司も間違いなくこのレベルにあると思われます。
齋藤一より強い
新選組の序列を考えると、沖田総司は斎藤一より強いと考察できます。沖田は一番隊、齋藤は三番隊とそこまで大差はないと思われますが、局長を凌ぐといわれた腕前や一番隊という組織を束ねていることから、「沖田>齋藤」と考えて良いでしょう。
沖田は肺の結核により若干25歳で亡くなったため、晩年になるに連れて力は落ちていったと考えられます。
ちなみに沖田の肺の病気については、『るろうに剣心』でも触れられています。
しかしながら、それでも全盛期の強さは計り知れなく、新選組で一、二を争う強さだったと考察できます。
剣心と沖田総司の戦いをネタバレ
[the_ad id="5494"] 『るろうに剣心』のOVAアニメ「追憶編」では、剣心と沖田が戦うするシーンがあります。原作で剣心が「勝敗はついていない」と語っている通り、そこでは明確な勝敗こそは描かれていません。
ただ、描写だけ考えれば、やや剣心が優勢だったのではと思われます。
剣心と戦う頃の沖田総司は肺結核に犯されていた時期でもありました。
原作の斎藤一のセリフにも「今は肺を病んでいるのでしょう?」とあり、その時の沖田の顔にもやや焦りがあります。
つまり、剣心が沖田に優勢だったのは、沖田が結核により本来の力を出しきれないからと考えることもできます。
池田屋事件
「追憶編」ででは、剣心と沖田総司の対決以外にも、1864年6月5日の池田屋事が描かれています。
池田屋事件は実際に起きた歴史上の戦いで、京都三条の旅館・池田屋で会合中の尊攘志士に対し、新選組が突撃して、多くの尊攘派が命を落としました。
新選組の強さが世に知られた事件でもあります。余談ですが、池田屋事件には斎藤一も参加しています。
「追憶編」では、この池田屋事件で沖田の戦いの描写も描かれていますが、反幕府側の人間を難なく倒しており、戦闘力の高さがうかがえました。
剣心には勝てない
剣心と沖田の強さはほぼ互角ですが、剣心の方が強いと考えて良いでしょう。
剣心は、池田屋事件の時は人斬り抜刀斎としての全盛期だったと思われますが、飛天御剣流の最終奥義を取得していませんでした。
その後に剣心は飛天御剣流の奥義を習得しているため、奥義習得後であれば剣心に軍配が上がると考えて良いでしょう。
もちろん、定性的な考察になりますが、奥義を習得した剣心より沖田が強いのであれば、幕末時代に互角だったという話に矛盾が生じてしまいます。
【るろうに剣心】新選組の強さを考察
『るろうに剣心』では長州藩と新選組の戦いが描かれています。それは剣心が長州藩に属していたからです。
『るろうに剣心』での新選組のハイライトは、1864年「池田屋事件」「禁門の変」といえるでしょう。
「池田屋事件」「禁門の変」は原作では描かれていませんが、OVS「追憶編」、映画『るろうに剣心 最終章 The Beginning』で描かれています。
特に「池田屋事件」では情報収集後、すぐさまに長州藩の密会場に向かい、維新志士を撃墜しています。
その描写は圧倒的な強さであり、隊長クラスでなくとも、かなりの強さを誇っていたと思います。
そもそも、斎藤一が三番隊隊長であるということは、局長の近藤勇を含めれば斎藤クラスの剣士が他に3人はいるということ。
「北海道編」で永倉新八が登場していますが、彼の強さも相当なものでしょう。
剣心と序盤で戦った鵜堂刃衛も、もともとは新選組に所属していました。刃衛は隊長ではなく、普通の隊士です。
刃衛は「もっと人間を斬りたい」という欲求から殺人を繰り返していたため除隊となりましたが、彼クラスの強さであれば新選組にゴロゴロいたということでしょう。
【るろうに剣心】沖田総司と瀬田宗次郎の関係
最後に、沖田総司と瀬田宗次郎の関係について深掘りします。
前提として、『るろうに剣心』では沖田総司、瀬田宗次郎はともに存在しているため、同一人物という設定ではありません。
一見関係なさそうに見える沖田総司と瀬田宗次郎ですが、彼らには容姿と技が似ているという共通点があります。
容姿でいえば沖田とも瀬田もやや幼い顔で、常に笑顔でニコッとしているのが特徴です。
技に関しても沖田は前述した「三段突き」を得意とし、瀬田も「縮地」という一瞬の間に相手を切り刻む方法を得意としています。
ここまで似ている理由は、瀬田宗次郎は沖田総司をモチーフに描かれているからです。
原作者の和月伸宏が、なぜ瀬田宗次郎のモデルに沖田総司を選んだかは不明です。
沖田総司のキャラクター性は幕末から明治の時代ではちょっと異質だっため、参考にしたのではないでしょう。
沖田総司も登場した映画『るろうに剣心 最終章 The Beginning』。原作とは違いオリジナル要素も多数ありましたね。
映画と原作の違いについて知りたい人はこちらもどうぞ。
まとめ
今回は、
●るろうに剣心の沖田総司の強さ
●剣心と沖田総司の戦いをネタバレ
●【るろうに剣心】新選組の強さ
●【るろうに剣心】沖田総司と瀬田宗次郎の関係
これらについてまとめました。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
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