2017年9月23日に公開された映画「ナミヤ雑貨店の奇蹟」。

物語では、皆月暁子(みなつき あきこ)というすでに亡くなった女性が幻覚や白黒写真で登場しています。

一体、この女性はどんな過去を持っているのでしょうか。

今回は、映画「ナミヤ雑貨店の奇蹟」皆月暁子について深掘りをしていきます。
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映画「ナミヤ雑貨店の奇蹟」皆月暁子の正体は何者?

映画「ナミヤ雑貨店の奇蹟」には、皆月暁子(みなつき あきこ)という故人が度々出演をしています。

映画を観られた方は、下記2点が気になると思います。

・皆月暁子を演じている女優は誰なのか
・物語の皆月暁子はどんな過去を持っているのか(丸光園やナミヤ店主との関係は?)

それぞれ、下記に記載をしていきます。

皆月暁子役の女優は成海璃子

皆月暁子を演じた女優は、成海璃子さんです。

成海さんのプロフィールはこちら。

名前成海 璃子
読み方なるみ りこ
本名塚本 璃子
生年月日1992年8月18日
出生神奈川県横浜市神奈川区
身長160cm
血液型O型
事務所研音

成海さんは2007年のドラマ「TRICK」で主演・仲間由紀恵さんが演じる山田奈緒子の幼少期を演じ、話題になります。

以降も多くの作品に出演をされており、映画では2002年の「トリック劇場版」を皮切りに28作品以上に出演しています。

2019年には「ゴーストマスター」で三浦貴大さんとのダブル主演を務めており、主演は11作品目になります。

テレビドラマも数多く出演をされており、直近のレギュラー出演では、2018年10月からNHKで「昭和元禄落語心中」に小夏役で出演をしています。

今回の「ナミヤ雑貨店の奇蹟」では、PANTAさんが成海璃子さんの演じる暁子役の弟という設定であり、「璃子ちゃんの弟だ」と喜んでいたとのことでした。

店内の西田敏行さんとの2人の演技では、年齢性がありながらも、元恋人という距離感を絶妙に演じられていましたね、

物語の皆月暁子の過去は?

では、成海さんが演じた皆月暁子とは、どんな役柄なのでしょうか。

皆月暁子とは、作中では1969年に亡くなっている女性です。

児童養護施設「丸光園」の創立者であり、ナミヤ雑貨店店主・浪矢雄治(西田敏行)の元恋人でした。

初登場は物語の序盤の2012年。敦也(山田涼介)たち3人が空き家となったナミヤ雑貨店に入り、女性の白黒写真を発見します。

その白黒写真は成海璃子さん演じる暁子の顔写真であり、裏面には「昭和2年3月 暁子」と記載されていました。

昭和2年のため、1927年の写真になります。

また、雄治の元恋人であり、2人で駆け落ちをしようと持ちかけた女性でもあります。

古びたナミヤ雑貨店に暁子の写真があった理由は、雄治がその写真を持っており、捨てずに残して置いたからでしょう。

以下、映画と原作から、暁子の時系列での出来事です。

・1927年:白黒写真の撮影

・1930年代:浪矢雄治と交際→駆け落ちを持ちかけるも失敗→破局

・1947年:児童養護施設「丸光園」創立

・1948年:児童養護施設「丸光園」認可認定

・1969年:死去

時系列とすれば、雄治との交際が破局に終わり、児童養護施設「丸光園」を創立しています。

それでは、以下、

・皆月暁子とナミヤ雑貨店店主・雄治
・皆月暁子と児童養護施設「丸光園」

この2つについて深掘りをしていきます。

映画「ナミヤ雑貨店の奇蹟」皆月暁子とナミヤ雑貨店店主・雄治と関係は?

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映画でも2人で会話するシーンがありましたが、皆月暁子とナミヤ雑貨店店主・雄治(西田敏行)は、元恋人同士でした。

1930年代に2人は交際をしていました。

映画内で、1980年秋の暁子(雄治が見ている幻覚)のセリフに「あれから50年が経ちます」とありました。

原作では、皆月暁子は大地主の家系(=上級階級)だったのに対し、浪矢雄治は機械工(=労働者階級)として描かれていました。

2人の気持ちとは裏腹に、階級差を要因に周囲は交際を認めようとしませんでした。

そのため、2人は駆け落ちを決意しますが、周囲に勘付かれて失敗に終わり、交際についても雄治が身を引く形で破局となります。

映画の会話の中身から、駆け落ちを最初に提案したのは暁子のようでした。

映画の1980年秋、雄治がすい臓がんにより入院した際、院内の外から雄治を見つめる暁子の姿がありました。

そして、雄治がナミヤ雑貨店に戻った時、雄治と暁子は思い出話に花を咲かせ、届いた手紙を読んでいきます。

1980年秋に雄治の前に登場した暁子は、実際に蘇ったのではなく、雄治が見ている幻覚でしょう。

(息子の貴之(萩原聖人)が店内を様子見した時、独り言をつぶやくようにして雄治が言葉を発しているシーンがありました)

原作では、暁子が雄治の前に登場するシーンが描かれておらず、映画ならでは演出になります。

映像化に伴うファンタジー性を演出していると思われ、ナミヤ雑貨店と児童養護施設「丸光園」の関係性に伏線をひくシーンでもあります。

死ぬ直前の雄治の前にすでに亡くなった奥さんではなく、暁子が登場した理由は「丸光園」というキーワードで物語を結ぶためでした。

これは原作のみの記載ですが、暁子は他の男性とは結婚をせず、子供もいませんでした。

暁子は1930年代に破局した後も雄治以外の男性とは結婚しないと決めており、のちに創業する児童養護施設「丸光園」の経営に人生を注ぎます。

映画「ナミヤ雑貨店の奇蹟」皆月暁子と児童養護施設「丸光園」の関係は?

皆月暁子は雄治と破局した後、児童養護施設「丸光園」を創立します。

創立は1947年、認可認定されたのは翌1948年でした。

暁子はもともと体が悪いことが描かれており、心臓の病気で1969年に無くなります。

暁子が亡くなったあとは、暁子の弟・皆月良和(PANTA)が園長として就任しいます。

映画では、1988年に魚屋ミュジーシャンがクリスマスの日に「丸光園」へ向かうシーンがありますが、そこで園長をしていた白ヒゲの男性が弟・皆月良和です。

火事後に仮の施設で物品整理をしている際、迷える子犬・田村晴美(尾野真千子)に対して、創業者である暁子の白黒写真を見せています。

このシーンで、暁子は雄治の元恋人であり、丸光園の創立者であることが確定し、物語全員が一本の線で結ばれたことになります。

2012年になると良和も亡くなっており、代わりにそれまでスタッフだった刈谷守(手塚とおる) が園長として経営の実験を握ります。

しかし、刈谷は一部の経費を横領しており、見かねた田村が丸光園を買収して園長に就任しています。

皆月暁子が児童養護施設「丸光園」を創立した理由

物語では、皆月暁子が児童養護施設「丸光園」を創立した理由について深く言及されていません。

一体、どんな理由で創立をしたのでしょうか。

暁子は両親を無くして資産を相続したため、その資金で何か世の役に立てないかと模索していました。

そこで戦後の社会問題の一つであった孤児を救うべく、私財を投入して孤児院を設立したのです。

創立の1947年が終戦から2年後の1945年のということもこれで納得がいきますね。

暁子は雄治以外とは結婚しないと決めていたこともあり(原作のみ描写)、自身に子供はいません。

しかし、子供はいないですが、そのような子供たちを救いたいという純粋な心が活動の活力になったことはいうまでもないでしょう。

まとめ

今回は、

●映画「ナミヤ雑貨店の奇蹟」皆月暁子の正体は何者?

●映画「ナミヤ雑貨店の奇蹟」皆月暁子とナミヤ雑貨店店主・雄治と関係は?

●映画「ナミヤ雑貨店の奇蹟」皆月暁子と丸光園の関係は?

これらについてまとめました。

以上となります。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
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