漫画「SLAM DUNK(スラムダンク)」では、神奈川県No.1プレイヤーとして海南大付属の牧紳一が登場します。
作中でも指折りのポイントガードであり、全国的な知名度も抜群です。
今回は、スラムダンクに登場する牧の日本人モデルについて深掘りしていきます。
スラムダンク牧の日本人モデルは誰?
スラムダンクの牧紳一の日本人のモデルについては、YAHOOの知恵袋に下記の質問がありました。
スラムダンクで『牧』のモデルになった人が神奈川県の高校で今バスケットのコーチをしているという話を聞きました。
どこの高校ですか?
【補足】
今、神奈川県のどこかの高校バスケットのコーチしてますって聞きました(*_*)
この質問をみて「えっ!?スラダンの牧にモデルがいるの?」と思い、色々と調べてみました。
しかしながら、日本人での牧のモデルは明確に〇〇選手とは公表されておらず、それらしい人物がいませんでした。
なぜ日本人に牧のモデルがいないのかと考えていくと、牧のようなプレースタイルの選手は当時の日本にはいなかったから、という結論に至りました。
牧はポイントガードとして試合を組み立てるだけでなく、パワー・スピード・テクニックと全ての項目で非常に優れた選手です。
ペネトレイトで相手を抜きりファールを受けながら3点プレイをもぎ取るだけなく、状況に応じてシューターの神宗一郎にアシストを行うなど周囲を生かすこともできます。
パワーの面では湘北の赤木をマークするなど身長184cmながらゴール下でも戦えており、愛称の「帝王」という言葉がぴったりです。
デイフェンス面でも宮城に「守りながら攻めてくる」と評されるなど、厳しいチェックで相手を簡単に抜かせることはありません。
いってしまえば、何でもできる超オールラウンダーであり、作中でも最強キャラクターの1人なのです。
スラムダンクの連載がスタートしたのは1990年であり、当時の日本は"コートで最も小さい選手がポイントガードを担う"という概念がまだまだ強かったと思います。
牧のような体格であればフォワードを担うのが普通であり、ましてや意図的に3点プレイを奪えるポイントガードはいなかったはずです。
現代では徐々にオールラウンドな選手が登場していますが、当時の日本ではプロでは実業団リーグであり、
ポイントガード=周囲を生かして試合を組み立てる
というクラシックな概念が固定化されていた時代だったといえます。
また、個人的には下記2つの要素も日本人離れしており、日本人モデルがいない理由ではないかと考えています。
顔が老けすぎている
これは作中でもネタにされていますが、牧はとにかく顔が老けています。
スポーツマンのためヒゲは一切生やしていないにも関わらず、あの大人びた顔立ちで18歳とは結構ビビります(↓)
めちゃ久々にスラムダンク読んでたんだけど、牧は将来商社マンになってると思う pic.twitter.com/fVhdBiG7hp
— 平良ダーデン (@taira_durden) September 23, 2017
海南は私立高校のため制服がブレーザーであり、初登場では企業勤めのサラリーマンかと思う風貌でした。
色黒でありかなり迫力満点ですね・・・。
牧のような高校生は現実に存在しない(というか、大人でもなかなかいない!)という部分からモデルに日本人がいない理由があげられます。
そういえば、赤木剛憲(湘北)や魚住純(陵南)のモデルについても日本人で話がでないのはこれが原因かもしれません・・・(笑)
余談ですが、同じスラムダンクに登場する仙道彰(陵南)には、日本人のJUN(本名:鈴木淳)というストリートボーラーがいます。
JUNさんは身長190cm・74kg、ポジションはフォワード
横須賀市立工業高校時代には、関東大会3位・国体3位という成績をあげ、「神奈川優秀選手」にも選出されたことがあります。
仙道は190cm・79kgとJUNさんの体格そっくりであり、ルックス・スタイルが非常に似ています。
ペネトレイトが異常に上手い
話を戻して、牧の日本人モデルがいないもう一つの理由は、ペネトレイトが異常に上手い、という点もあると思います。
牧の代名詞にもなっているペネトレイトは、相手を抜き去り、チームの攻撃の起点になっています。
仙道からも「8割方、彼を起点に始まる」といわれており、チームの要であることをしめしています。
ただ、先ほども少し記載しましたが、スラムダンクが連載がスタートした1990年では日本人のポイントガードがパスを回して試合を組み立てる潤滑油のような役割が多く、牧のような選手がほぼいなかったと思われます。
得点を奪ったとしても3Pシュートなどアウトサイドが中心だったでしょう。
牧のペネトレイトは非常にうまく、このような戦い方ができる選手は当時の日本にいないことからも、明確な日本人モデルはいないと思われます。
スラムダンク牧のモデルはマジック・ジョンソン?
[the_ad id="5494"] スラムダンクに登場する牧のモデルは、NBA選手であればマジック・ジョンソンといわれています。マジック・ジョンソンは206cm・105kgという高身長の体格ながらポイントガードとして多彩なパスを繰り出すだけなく、高い得点能力やセンターとしてプレーした経験もあるなどユーティリティな一面もあります。
1980年代に全盛期を迎え、ロサンゼルス・レイカーズを80・82・85・87・88と2年に1回の驚異的なペースでNBAチャンピョンに導いています。
生涯通算アシスト数は10,141でレイカーズ歴代1位、NBA歴代4位。プレーオフの通算アシスト記録2,346を保持。
1996年にNBA50周年を記念した「歴代の偉大な50人の選手」に選ばれ、2002年に殿堂入りを果たしています。
代名詞の「ノールックパス」は相手選手はもちろん、撮影のカメラも騙してしまうほどであり、好プレーが画面に映らなくなってしまうこともあったとか。
●マジック・ジョンソン
NBA図鑑㊲
名前:マジック・ジョンソン
習性:マジック(魔法)のようなパスさばきのジョンソン。#NBA#クウィーんず。#お笑い pic.twitter.com/1YcgdWyLZV
— クウィーんず。てっぺー (@111933Teppei) July 24, 2019
現代のNBAのポイントガードの平均身長でも190cmを超えたほどであり、1980年当時で206cmのマジック・ジョンソンがポイントガードを担うことは異例でもありました。
このような体系の選手はフォワードやインサイドプレイヤーへの変更を余儀なくされることもありましたが、マジック・ジョンソンは誰よりもテクニックに優れていることもあり、ポイントガードとしてプレーを続けています。
スラムダンクの牧も抜群のテクニックとスピードで相手をかわし、パスやシュートで得点に貢献しています。
高校生ながら184cm・79kgという体格のポイントガードは当時では珍しく、マジック・ジョンソンを彷彿させます。
海南のユニフォームのカラーは「紫」と「黄色」ですが、これはレイカーズのチームカラーでもあり、マジック・ジョンソンが牧のモデルであることが伺えます。
スラムダンクでは牧と仙道のマッチアップは読み応え抜群でしたね。
2人の実力派一体、どちらが上なのでしょうか。詳しく知りたい人はこちら(↓)
まとめ
今回は、
●スラムダンク牧の日本人モデルは誰?
●スラムダンク牧のモデルはマジック・ジョンソン?
これらについてまとめました。
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