漫画「SLAM DUNK(スラムダンク)」には、安西先生の大学時代の教え子に「谷沢龍二」という選手が登場します。
谷沢はに日本人には珍しく2mの身長ながら、運動能力も秀でており、「走れる2メートル選手」として将来を渇望されている選手でした。
しかし、最後は悲痛の死を迎えてしまいますが、「手紙」や「薬物」など気になるトピックスが多いですね。
今回は、スラムダンク谷沢龍二の死亡シーンを中心に同登場人物について深掘りしていきます。
この記事の目次
スラムダンク谷沢龍二とは?
スラムダンクの谷沢君にはならないようにしなければ。ブラジルに来たから上手くなるわけじゃあない。すごいよ、サッカー大国。 pic.twitter.com/ljrdqprTuA
— 塩 (@Yuta__Shio) June 24, 2016
スラムダンクに登場する谷沢龍二は、安西先生の大学時代の教え子にあたります。
「走れる2メートル選手」と周囲ら将来を期待されており、当時は"白髪鬼"と呼ばれた安西先生も自身の集大成として谷沢を日本一のプレイヤーに育てることを心に決めていました。
しかし、谷沢は、安西先生の技術より基礎を重視する指導方法に不満募らせていきます。
向上心の高い谷沢は基礎練習を重ねることで本当に上手くなれるのかを疑問に感じており、しまいには安西に無断でアメリカ留学を決意します。
谷沢はバスケットの本場、アメリカへ向かうことで自身の技術をさらに高めようと決意していました。
アメリカ向かった谷沢でしたが、チームメイトとのコミュニケーション不足やチームプレイの体をなしていないチームの中で思うようなプレーができずに苦しんでいました。
大学へ送られた試合映像を見た安西先生も、心の中で愕然していました。
(誰か谷沢に基礎を教える人間は居るのか?アイツ、英語はどうなんだ?チームメイトとうまくコミュニケイトできていないようだ!)
(そもそもこのチームはいったい何なんだ。それぞれが勝手なプレイばかりだ。まるでまとまっていない。指導者はいったい何をやっておるんだ……!?このままじゃ谷沢は絶対にダメになる…!!)
(帰ってこい谷沢!ワシは監督生活の最後におまえを日本一の選手に育て上げるつもりだったんだ!おまえはまだ素材だ!環境次第で白くも黒くもなる!!)
と感じ、そのあ後はあらゆる手段を使って、谷沢を帰国させるためコンタクトを取ろうと試みます。
しかし、安西先生の想いもむなしく行方は一向に掴めずにいました。
そして、アメリカで挫折を感じた谷沢はその5年後の24歳のときに薬物に手を染めて交通事故で死亡したのです。
その事実を新聞で知った安西は大学バスケの世界から身をひき、湘北高校で"白髪仏"と呼ばれるほど穏やかな雰囲気の人物に変わったのです。
安西から谷沢への名言
安西先生は谷沢へ厳しく指導をしていますが、それは人一倍、彼の才能に惚れ込んでいたからです。
安西から谷沢への格言ともいえる名言は下記になります。
安西:「おい、谷沢。おまえは何か勘違いしておりゃあせんのか?おう?」
谷沢:(ヤ……ヤクザだよ、ほとんど……)
安西:「おまえのためにチームがあるんじゃねえ、チームのためにおまえがいるんだ!」
谷沢:「………」
厳しく怖い指導方針を貫く安西先生から言葉ということもあり、当時の谷沢の頭にはそこまで入り込んでいませんでした。
しかし、これはバスケットボールという競技では根底になければならない考えです。
安西先生は、谷沢が才能ばかりに目を向けて自己中心的で傲慢なプレーをさせないよう、口すっぱく言い聞かせていたのでしょう。
スラムダンク谷沢龍二の死亡シーンまとめ
[the_ad id="5494"] 谷沢は将来を渇望されながらも、最後は24歳の時に交通事故で死亡します。安西先生の元を去ったのが大学生(1〜2年時と推測できる)と非常に若く、大きな挫折を感じた谷沢は人生を投げだしてしまったのです。
手紙の内容
谷沢の墓地に訪れた安西先生は、その時に谷沢の母から手紙を渡されます。
アメリカのアパートにあった手紙であり、日付から死亡した年の4年前に書かれたものとわかりました。
谷沢は手紙を書いたものの、きちんと安西先生に出すことはできずにいました。
いつかの先生の言葉が近ごろよく頭に浮かびます。
「お前のためにチームがあるんじゃねぇチームの為にお前がいるんだ」
ここでは誰も僕にパスをくれません。
先生や皆に迷惑をかけておきながら、今おめおめと帰るわけにはいきません。
いつか僕のプレイでみんなに借りを返せるようになるまで、頑張るつもりです。
バスケットの国アメリカのーーー
その空気を吸うだけで僕は高く跳べると思っていたのかなあ・・・
谷沢もアメリカに向かったことで、なぜ安西先生があそこまでチームプレイや基礎にこだわったのかを痛感していました。
しかし、安西先生にその手紙を出してはおらず、アメリカでプレーする道を選択していましや。
谷沢龍二の名言
谷沢が手紙で最後に書いた下記の言葉。
バスケットの国アメリカのーーー
その空気を吸うだけで僕は高く跳べると思っていたのかなあ・・・
何気ない言葉ですが、実は非常に重みのある内容です。
谷沢にとってアメリカ心から憧れている場所ではなく、安西先生の指導から逃げるようにしてその場所を選んだ経緯もあります。
その証拠に英語でのコミュニケーションもままならず、試合ではパスをくれない始末。
谷沢は安西先生の練習の意図を感じるこなく基礎練の日々に将来の不安を感じ、安西先生もまた指導方針を明確に矢沢へ伝えていませんでした。
矢沢の向上心が強いはゆえに基礎練習の日々に「本当に上手くなれるのか」と疑問を感じていたのでしょう。
ただ、当時の安西先生にその疑問を問えるような雰囲気はなく、指導者と選手に大切な「この人のいうことを聞けば、良い選手になれる」という信頼関係が構築できていませんでした。
そんな中で渡ったアメリカ留学。
谷沢にとってアメリカに行くことは、目の前の安西先生の練習を辞めるという逃げに近い状態だったことは否めません。
谷沢自身も"その空気を吸うだけ"という言葉を使っており、アメリカ留学は手段であり目的ではないこと痛感していたと思います。
死因は薬物?交通事故?
アメリカ留学に挫折した谷沢は24歳の時に死亡しました。
安西先生が新聞を読んでいたとき、
『アメリカで日本人留学生激突死。谷沢龍二さん(24)、120キロの車両暴走!薬物反応もあり?』
という記事を読むシーンがあります。
挫折から自暴自棄になり薬物に手を染めるようになったのでしょう。
そして、薬物使用の状態で車を運転し、事故を起こしてしまいました。
死因は交通事故により体を激しく損傷、殴打されたからだと推測できます。
スラムダンク谷沢龍二のモデルは?
スラムダンクの谷沢は「2メートルを超える走れる選手」というのがウリであり、ポジションは3〜4番だと推測できます。
ただ、登場シーンが限られており、プレイスタイルなどは不明でモデルの人物までは特定できません。
作者の井上先生は一部でNBAの写真などからコマを作ったりしていますが、谷沢に関してはその様子もありませんでした。
あくまでも安西先生の過去を流川楓のアメリカ留学にリンクさせる人物であることから、そこまでモデルは意識せずに記載していた可能性が高いです。
矢沢のエピソードは非常に綺麗でしたが、スラムダンクにはちょっとした矛盾している箇所がいくつも存在しています。
スラムダンクの矛盾点や疑問について20のエピソードをまとめました!
まとめ
今回は、
●スラムダンク谷沢龍二とは?
●スラムダンク谷沢龍二の死亡シーンまとめ
●スラムダンク谷沢龍二のモデルは?
これらについてまとめました。
[the_ad id="5800"]
[the_ad id="5494"]