今回は、スラムダンク宮城リョータはなぜアメリカに行ったのはスラムダンク奨学金のため?徹底考察!というテーマについてお話します。
映画も高い人気を誇る人気バスケットボール漫画「スラムダンク」。
今回はその「スラムダンク」に登場し、映画「THEFIRSTSLAMDUNK」ではまさかの主役に抜擢されたことで世界中で売れるIPとしてスラムダンクを成長させた貢献者の一人と言っても過言ではない宮城リョータについて、様々な情報をお調べしたいと思います。
また今回は。宮城リョータがなぜ最終的にアメリカに行ったのか、これはどういう意味なのか。
これはスラムダンク奨学金の宣伝だったのではないかといった情報についてもご紹介しますので、最後までお楽しみください。
それでは、スラムダンク宮城リョータはなぜアメリカに行ったのはスラムダンク奨学金のため?徹底考察!スタートです!
この記事の目次
スラムダンク宮城リョータの概要
宮城リョータは漫画「スラムダンク」に登場する人気キャラクターとなっています。
同作の主人公であった桜木花道同様におちょけた性格をしたひょうきんな人物で、桜木花道とは非常に仲が良くなっています。
ちなみに、宮城は身長168㎝ほどしかなく、バスケットプレイヤーとしてはイマイチ身長が足りていないもののそれを補うガッツとスピーディーな動きで相手プレーヤーを翻弄することに長けています。
また、宮城リョータは映画版では省かれましたが、彩子という湘北バスケ部のマネージャーに惹かれており、何度もアプローチをしていますが、あまり相手にされていません。
しかし、彩子は宮城の才能を見抜き、たびたび彼を焚きつけるような言葉を言ってうまくのしあげています。
宮城リョータについては原作では良くも悪くも調子乗りの道化的なキャラクターでしたが、映画版では、主人公として描かれたことで、そう言ったユーモア的な要素は排除されてしまいました。
宮城リョータの声優は新と旧で違う!?
そんな宮城リョータですが、90年代に放送されたTVアニメ版と2022年に製作上映された劇場版アニメでは声優が違っているといわれています。
果たして、それはどういうことなのか、皆さんとともにみていきましょう。
新作は仲村宗悟
2022年に製作された劇場版アニメ「THE FIRST SLAM DUNK」で宮城リョータを演じていたのは、仲村宗悟さんです。
- 名前:仲村宗悟
- 住所:沖縄県宜野湾市
- 生年月日:1988年7月28日
- 所属事務所:アクロスエンタテインメント
仲村さんは、元々ミュージシャンを目指し上京いたしましたが、音楽活動を行いながらバイトに明け暮れる日々に疑問を抱き、ある日、声優を目指すこととなりました。
その後、養成所R&A VOICE ACTORS ACADEMYに入り、そこからアクロス エンタテインメントに所属することとなりました。
やがて、2016年には『アイドルマスター SideM』天道輝役で声優としてデビューすることになり、現在では数多くのアニメに出演しています。
旧作は塩屋翼
90年代アニメ版で宮城リョータを演じていたのは塩屋翼さんです。
- 本名:塩屋 翼
- 出身地 :鹿児島県・神奈川県
- 生年月日:1958年6月24日
- 事務所:ラクーンドッグ
1958年に鹿児島県で生まれた塩屋翼さんは、5歳の頃に神奈川県に移住。
やがて、小学二年生になると子役として劇団に入ります。
その後、1972年には「海のトリトン」で主人公トリトンを演じて声優デビュー。
さらにその後は、吹き替え・アニメ問わず様々な媒体で活躍。
とくに有名なのは「ジョジョの奇妙な冒険」で主人公のジョナサン・ジョースターの師匠になるウィル・A・ツェペリで、ここでは飄々としたツェペリを巧みに演じていました。
そんな、塩屋さんは、90年代版アニメで宮城リョータを熱演していました。
この時はコミカルな演技で宮城リョータを熱演しており、彼の持ち味が発揮されていました。
宮城リョータの最後が原作と違う
宮城リョータの最後についてですが、原作漫画と映画で大きく異なっています。
原作漫画において、宮城リョータの最後は明確に描かれることはありませんでした。
最終的に、それまで湘北高校のキャプテンを務めていた赤木剛憲が引退した後は、湘北高校のキャプテンに就任。
その後を描いた番外編漫画では赤木以上に厳しい鬼部長として君臨していることが、言及されていたのでした。
しかし、映画版はその後、アメリカNBAの世界に行き、そこでライバルともいえる沢北栄治と遭遇。
彼とNBAの世界で再対決をするというオチになっていました。
新アニメ映画版では宮城リョータは主役だった
元々原作漫画「スラムダンク」では、主人公はあくまで桜木花道でしたが、本作はなんと宮城リョータこそ主人公として設定されました。
そこで、宮城リョータは、過去に沖縄県に在住していたものの、バスケが得意だった兄を事故で失ったことで、心に傷を負い、家族ととともに神奈川県に移住したという過去が設定されました。
この改変についてですが、非常に賛否両論といった形であったのですが、個人的にはスラムダンクという名作漫画の主人公を変える事で、さらに別の角度から原作を描いていることに成功したのではないかと好意的に解釈しております。
考察・なぜ宮城リョータが渡米をすることになったのか
それでは、劇場アニメ『THE FIRST SLAM DUNK』においてなぜ宮城リョータが渡米をすることになるというオチに変化してしまったのでしょうか。
今回はその謎について考察していきたいと思います。
主人公が渡米するのはスポーツ漫画あるあるだから
スポーツ漫画といえば、「メジャー」「アイシールド21」にしろそうなのですが、最終的にアメリカの団体に行ってしまう展開が多くあります。
となると、映画版で主人公である宮城がアメリカに行ってしまうという展開は、いわばスポーツ漫画あるあるを体現したオチであり、それらの作品のオマージュとして考えれば筋が通るかもしれません。
スラムダンク奨学金制度を使用して渡米した
なぜ宮城リョータが渡米をすることになったのか、についてですがその理由のもう一つの物として考えられるのはメタ的にいうと、スラムダンクの作者である井上雄彦氏が創設した「スラムダンク奨学金制度」の宣伝ではないかという声があり、劇中では言及されていませんが、この奨学金制度を使い、宮城リョータはアメリカに渡米をしたのではないかといわれています。
この「スラムダンク奨学金制度」というものは、高校時代にバスケに取り組み、そして高校卒業後もバスケがしたいと希望する学生にたいして振り込まれる奨学金制度で、この制度を利用しアメリカの大学に進学することが可能となっています。
恐らく宮城リョータはこの「スラムダンク奨学金制度」を使用して、アメリカに向かっていったのではないかと予測されます。
しかし、これらもあくまで説であって公式的に何かしらの回答があったわけではないので、お間違いの内容にお願いします。
財政的に苦しい宮城リョータでもチャレンジができることを訴えたかった
宮城リョータは映画版「FIRSTSLUMDUNK」では、その生い立ちが明かされます。
シングルマザーの元で育った宮城は金銭的にも貧しく、非常に困窮した家庭として描かれております。
そういった家庭で育った人間がアメリカで成功する一種のアメリカンドリームをこめて、本作のラストで宮城リョータが渡米してNBAの世界で活躍するオチにしたのではないかともいわれています。
いずれにせよ、夢がある終わり方でいいですね。
まとめ
今回は、スラムダンク宮城リョータはなぜアメリカに行ったのはスラムダンク奨学金のため?徹底考察!というテーマについてお話ししました。
今回分かったことをまとめると、以下のようになります。
- 宮城リョータは元々スラムダンクの主人公ではなかったが、2023年製作のアニメ映画版で主人公に昇格した。
- 宮城リョータは、旧アニメと新作劇場版で声優が違う。
- 宮城リョータが、2023年製作のアニメ映画版のラストで渡米できたのはスラムダンク奨学金制度があったためという説が濃厚で、実はスラムダンク奨学金制度の広報だったのではないかという意見もある
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!