2019年7月19日に公開された映画「天気の子」。
映画の結末を観ると王道から外れた内容であり、「バッドエンドなの?」という声も聞こえてきます。
最後のシーンで帆高が"晴れ"ではなく陽菜が選び、天空から連れ戻しており、東京の三分の一が雨でなくなりました。
映画「天気の子」の結末はバッドエンドだったのか、以下で深掘りしていきたいと思います。
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この記事の目次
映画「天気の子」帆高が最後に陽菜を選んだ理由
映画「天気の子」の結末は、帆高が最後に天空から陽菜を連れ戻します。
帆高にとっては、
・天空に行かないで東京に晴れをもたらす
・天空に行き陽菜を連れ戻して晴れを東京からなくす
という2つの選択肢が残されていました。
しかし、前者の選択肢は一切考えることなく、陽菜を連れ戻すことに全力を注いでいます。
帆高が陽菜を連れ戻すことに全力を注いだ理由は、大好きだったという恋愛感情でしょう。
物語でも陽菜がふいに差し出したハンバーガーが16年間で一番美味しかったといっており、その後の2人の関係性からもずっと一緒にいたいと感じた相手であることは間違いありません。
神様どうかプラスもなくマイナスもなくこのままでいい、という心の声もありました。
帆高にとってみれば陽菜がいることが全てあり、晴れなんていらないというのは本当に映画での言葉通りでしょう。
"帆高は雨が降っていても陽菜がいればいい"と考えており、それ以上でもそれ以下でもありません。
また、そもそも2人が作った思い出は雨の中の東京であり、ずっと雨が降っていても2人だったら楽しいということがわかっているのです。
そう考えれば、帆高が晴れの東京を望む理由はありません。
映画「天気の子」結末はバッドエンド?
[the_ad id="5494"] しかし、帆高が陽菜を選んだことで、東京は晴れから見放され、面積の三分の一が減るという結末を迎えました。いじわるな見方をすれば、帆高は「陽菜と一緒にいたい」という自身の欲望のために東京の晴れ(=世の中が望むこと)を捨てたことになります。
東京の多くが消えており、世の中の大多数にとってみれば不幸ということになるのでしょう。
果たして、これはバッドエンドなのでしょうか。
意見は様々ですが、個人的には"ハッピーでもバッドでもない"結末だと思います。
少し話はそれますが、同じ新海監督の「君の名は。」は誰もがハッピーエンドだと考えると思います。
「君の名は。」は糸守の滅亡=大好きな三葉の死であり、広義(世の中)のために動いたことがそのまま狭義(三葉と瀧)の幸せになりました。
つまり、解決する問題が「糸守の滅亡を阻止すること」という1つに絞られていました。
一方で、「天気の子」の場合は、帆高の視点で考えれば、解決したい問題が2つありました。
・東京に雨が続いている=天気を晴れにする
・今後も陽菜と一緒にいること(陽菜を連れ戻すこと)
ただ、2つを一緒に取ることができないため、自身の気持ちにしたがって「今後も陽菜と一緒にいること(陽菜を連れ戻すこと)」を選び、数多くの犯罪行為をしながらなんとか鳥居をくぐったのです。
個人的には、東京は三分の一が雨なくなりましたが、決してバッドエンドではないと思われます。
帆高からすれば、そもそも陽菜が天気の巫女であることは誰ひとりとして理解しておらず、捉えた刑事からも「面倒臭い」と悪態をつかれています。
本人からすれば、"大人(お前ら)なんてどうでもいいから、陽菜と一緒いたい”というが本音であり、全てでしょう。
高校1年生であり、自分の気持ちに正直に生きるはずですね。
さらにいえば、高校1年生が東京都の未来なんて背負わなくて良い、と擁護したくなります。
陽菜が天気の巫女になったのは偶然、助けることができたのも偶然(できない可能性だってあった)、帆高が陽菜と出会ったのも偶然。
帆高1人が背負うには非常に重たい出来事であり、冷静に対処することができなくて当然でしょう。
陽菜が特別な存在であることはいうまでもありませんが、帆高もまた好きな人を失い+誰からも信じてもらえない孤独であり、特別な存在なのです。
ただ、もし、主人公が30代や40代の男性であれば、「天気を晴れにする」ことを選んだのかもしれません。
だからといって、この結末がバッドエンドかというとそうではありません。
誰かの命を犠牲にしてまで晴れにする必要はなく、雨でも人間は生きていけるわけですから。
ハッピーやバッドという二者択一の問題ではないのかなと思います。
映画「天気の子」結末がバッドエンドという意見まとめ
ここでは、>映画「天気の子」結末がバッドエンドという意見をまとめていきます。
簡単にいうと、下記の見解をしめす人が多いです。
●バッドエンドの理由
①東京が三分の一が水没した
②犯罪をしすぎ(須賀と夏美は大丈夫か)
③陽菜のメンタル
①東京が三分の一が水没した
1つ目は、東京が三分の一が水没したということです。
東京の面積が減ることはそのまま経済に大打撃を与えます。
例えば、観光産業で盛り上がっている浅草は隅田川の近くのためすぐに埋もれてしまったはずです。
海沿いということは、千葉県ですがディズニーランドもなくなっているのではないでしょうか。
作中ではフェリーで通勤・通学しており、国民はなんとか生活をしているようですが、建築物や建造物も消滅している可能性が高く、百害あって一利なしです。
どこかの映画で「日本沈没」というタイトルがあったと記憶していますが、まさにその通りであり、非常にまずい状態です。
②犯罪をしすぎ(須賀と夏美は大丈夫か)
2つ目は、犯罪をしすぎ!ということです。
軽犯罪ならまだいいかもしれませんが、かなり重い罪も含まれています。
例えば、
・銃を故意に所持している
・銃を発砲している
・警察を殴る
・線路立ち入り
・電車走行の妨害
・バイクでの交通違反
・逃亡を助ける
起訴されるかどうかは別にして、犯罪のオンパレードです。
特に須賀さん。
警官殴るのは暴行罪、傷害罪、公務執行妨害・・・結構、まずいでしょう。
夏美も就職活動前にあの行動は結構まずいのではないでしょうか。
③陽菜のメンタル
陽菜はこれから生きていくにあたり、ずっと「この雨は自分のせい」「晴れないのは自分のせい」と思いこんで生きていかなければならないという意味です。
確かに陽菜はずっとこのような気持ちのまま生きていく可能性もありますね。
陽菜がいること=東京に雨が降ること=人々の生活場所がどんどん失われていく
ということです。
その重さを背負いながら生きていくことは尋常ではないでしょう。
ただ、陽菜に関しては、それを覚悟であの時手をとったと思います。
2人は"ずっと雨でも良いから一緒にいること"を望んだのです。
もちろん、大多数の人の観点からいえばバッドエンドなのかもしれませんが、そもそも帆高と陽菜の選択を"バッドなこと"と判断できる人間があの世界にいないこともまだ事実です。
映画「天気の子」伝えたいことを考察
映画「天気の子」では、自分の気持ちに正直に生きる帆高の生き様が映し出されていました。
・離島から家出
・警察から逃亡
・陽菜を連れ戻す
特に、最後の警察から逃げるシーンは、数々の犯罪を犯しながら進んでいましたね・・・。
それでも、陽菜のために全力で帆高は前に進んでいました。
10代の一生懸命さや無謀さを描き、2人の壮大なラブストーリーの一面があることが間違いないでしょう。
他にも、「天気の子」は「君の名は。」と同じ世界で展開されています。
キーワードは「2021年」です(↓)
まとめ
今回は、
●映画「天気の子」帆高が最後に陽菜を選んだ理由
●映画「天気の子」結末はバッドエンド?
●映画「天気の子」伝えたいことを考察
これらについてまとめました。
以上となります。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
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