2019年5月1日から新たらしい年号「令和」がスタートします。
126代目天皇として即位されるのは現在の皇太子さまです。
今後は通称、令和天皇となられますが、本名やフルネームを改めて確認したい人も多いと思います。
他にも、即位後の呼び方や名付け親についてきちんと理解したいですね。
今回は令和天皇の"お名前”をテーマに深堀りしていきます。
なお、在位中に「元号+天皇」で呼ぶことはありませんが、この記事では「令和天皇」で検索された方へ向け、令和とともに即位する天皇という意味で使用させていただきます。
[the_ad id="5800"] [the_ad id="5494"]この記事の目次
令和天皇の本名とフルネームは?
#皇太子さま #徳仁親王 #誕生日
本日は皇太子殿下徳仁親王が59歳の誕生日を迎えられました。謹んでお祝い申し上げます。
今年は5月に天皇陛下の位を継がれるのを前に特別な思いが胸に去来したことでしょう。
皇室の存在あってこその日本。
これからも、国民として皇室の弥栄を心からお祈り致します。 pic.twitter.com/2yP05veud0— 拓朗🇯🇵🇺🇸🇬🇧🇹🇼🇮🇳🇵🇼 (@jijiantenna) 2019年2月23日
まずは、令和天皇の本名とフルネームについて確認していきましょう。
併せて令和天皇の経歴や人柄についても触れていきます。
令和天皇の本名は「徳仁(なるひと)」
令和天皇に即位されるのは現在の皇太子さま、徳仁(なるひと)さまです。
徳仁さまは、2019年5月1日に第126代天皇として即位されます。
まずは簡単にお名前などの詳細を記載していきます。
お名前 | 徳仁(なるひと) |
---|---|
お続柄 | 第1皇太子 |
お誕生日 | 昭和35年2月23日 |
ご称号 | 浩宮(ひろのみや) |
総裁職など | 日本赤十字社・名誉副総裁 |
お名前に関連する項目についても部分的に解説していきます。
【お続柄】は第1皇男子。
これは平成天皇こと、明仁さまの一人目のご子息、という意味です。
ニュースでは家系図での説明も少ないと思うため、下記のリンクに家系図を加えました。
この図は4月29日時点のものであり、徳仁さまは皇太子さまとして記載しております。
【ご称号】は日本の皇族の幼少時に与えられる呼び名を指します。
成人になるとこちらで呼ばれることはありません。
徳仁さまは表の通り「浩宮」(ひろのみや)です。
皇族の称号は、宮家の子女には与えられておらず、天皇・皇太子の子女にのみ与えられています。
基本的に【漢字1文字+宮】の2文字で構成されており、私が調べた限りでは、明治天皇八女の允子内親王が「富美宮」と3文字であり、それ以外の方は2文字でした。
2文字の理由は明確に理由が定まっているわけでなく、先代からの伝統と慣習からの決められていったようです。
天皇陛下には苗字がない理由
徳仁さまが令和天皇に即位されることはわかりましたね。
読んでいくと一つ疑問に思う人もいると思います。
「あれ?天皇陛下・・・・というか、皇族に苗字ってあるの?」
ニュースでも天皇陛下や〇〇さまと呼ばれることが多く、きちんとした苗字について知らない人も多いと思います。
実は、天皇をはじめ、皇族には苗字がありません。
徳仁さまの弟にあたり、第2皇男子にあたる秋篠宮文仁親王の「秋篠宮」も苗字ではありません。
これは宮号というものであり、皇族男子が結婚して独立家計を営む際に与えられる形式の称号をいいます。
過去にも下記のような宮号がありました。
・大正天皇次男:雍仁親王:秩父宮
・昭和天皇次男:正仁親王:常陸宮
名前の話を戻しますが、ここまでの説明でちょっと疑問がわくと思います。
「じゃあ、なんで皇族には苗字がないの?」
これは氏姓が付けられた日本の歴史と密接しています。
古代日本では苗字(=氏姓)は、天皇から贈られるものと位置づけられていました。
「勝手につければいいじゃん」と思いますが、当時はそもそも氏姓という概念がないため、現代異なりグループや身分を表すものであり、天皇からプレゼントされて初めて自分の呼び名が決まる時代でした。
5世紀にスタートしたとされる「氏姓制度」がそれにあたります。
【氏】
支配集団全体の名称が「氏(うじ)」。それぞれの豪族のグループ名にあたる。
【姓】
ヤマト政権内での豪族の地位をあらわす称号にあたる。
しかし、天皇はその中で氏姓を度外視した、超越した存在であるため、天皇には氏姓を与えられるものがいませんでした。
天皇を超える上位の者はおらず、誰もつけることができなかったというわけです。
さらに日本は2,000年以上、1つの王室の家系が続いていることもあり、皇族を他者と区別する必要もありませんでした。
つまり、「皇族であること」で明らかに別格であることを示しており、あとは、各人の名前だけをつければことが足りた・・・という慣習から、現在も苗字はなく名前だけが付けられています。
天皇陛下のフルネームは?
上記で説明した通り、皇族には苗字がないため、名前=フルネームになります。
つまり、令和天皇・徳仁さまのフルネームは、そのまま「徳仁」となります。
お友達やプライベートではお名前で呼ばれていると思われますが、個人的には学校での呼び名は少し気になりました。
調べてみると、天皇をはじめ皇族は、学校では名前だけでなく、称号や宮号を姓の代わりとされていたようです。
徳仁さまは称号「浩宮」(宮号はありません)のため、学校では「浩宮徳仁」さまと呼ばれていたと思われます。
令和天皇の即位後の呼び方は?
[the_ad id="5494"] では、徳仁さまが天皇へ即位された後は、呼び方はどうなるのでしょうか。当たり前ですが、皇太子ではなくなるため、通常は下記2通りの呼び方があります。
・天皇陛下 ・今上天皇それぞれについて、解説をしていきます。
天皇陛下
メディア等で報道される時、私たちが会話するなどするなど、最も多く使われているのが「天皇陛下」という呼び方です。
天皇陛下とは、現時点で即位している天皇への敬称になります。
つまり、2019年4月30日までは明仁さまが、2019年5月1日からは徳仁さまが天皇陛下となります。
イメージがつきにくい方は、「天皇陛下」が世の中に一つしかない職業と考えれば理解できると思います。
世の中にない一つの職業(ここでいう天皇陛下)を皇族で交代しており、現時点で役割を担っている人がその職業の名前で呼ばれている、というイメージです。
日本で「天皇陛下」という言葉ができたのは、757年(天平宝字元年)の「養老律令」まで遡ります。
そこに「天皇は陛下」「皇后と皇太子は殿下」と記述されていたようです。
明治時代以降は、現行の敬称である陛下で統一されており、皇后、上皇、上皇后にも用いられます。
ニュースなどでも「皇后陛下」という言葉を耳にしますね。
そもそも、陛下とは、階段の下という意味です。
中国の最初の皇帝、秦の始皇帝の時代から存在していました。
当時、臣下は皇帝に直接意見を述べるのではなく、一度下の階の担当者に伝えて、その担当者が皇帝に述べるという形式を取っていたことが由来だそうです。
今上天皇
もう一つ、呼び方としては、今上天皇があります。
読み方は「きんじょうてんのう」と読みます。
同じように聖上(せいじょう)とも呼びます。
こちらも天皇陛下と同じく、現時点での天皇の名称になります。
今上天皇は「今上」と呼ばれることもあります。
この呼び方が始まったのは今から約1270万前の奈良時代からのようです。
天平勝宝8年の書物である「東大寺献物帳」には、「後太上天皇、天皇伝賜今上、今上謹献廬舎那仏」という一文があります。
ここで「今上」という文字が使用されていることから非常に昔から使用されていたことが間違いなさそうです。
令和天皇の名付け親は誰?
最後に、天皇名付け親について深堀りをしていきましょう。
一般家庭のようにご両親がつけるのか、何か伝統などがあるのか、整理していきたいと思います。
天皇の名前を決める人
天皇、つまり、皇族の名前を決める人は一体誰なのでしょうか、
皇族が誕生すると、当該皇族の父が決定した名前を命名します。
その際に宮内庁書陵部と漢学者と相談もされた上で決定するようです。
嫡流(本家を継承する家筋・家系)の場合は、天皇自らが最終的な決定を行います。
一方で、宮家の場合は当該皇族の父の一存で決定されます。
ただ、これまでの天皇の名前を見ればわかりますが、「仁」や「子」が必ずといって良いほどついています。
「仁」には、慈しむ、親しむ、愛する、諸徳の総称、有徳の人という意味があり、天皇・皇族にぴったりの名前ですね。
第70代の御冷泉天皇からは、「仁」を付けた名前が伝統になっています。
一方で「子」は、第52代嵯峨天皇が13人の内親王全員の名前に「子」を付けたことから始まりました。
そこから伝統的に「子」という文字が使われています。
期間でいうと約1,200年間であり、日本の伝統になっています。
それ以外にも日本の女性の名前には「子」がついているケースが多いですね。
女性の「子」はまだしも、「仁」にはぴったり感じに限りもありそうなので、今後どのようになっていくかは報道を注視していくしかなさそうですね。
皇族の名前の由来
皇族の名前は一般家庭と名前が異なるのが見ててすぐにわかりますね。
理由は、古代中国の儒教の教典から引用しているからです。
2019年4月末までの皇太子、徳仁さまは、四書五経のうちの「中庸」第32章にある「聡明聖知にして天徳に達する者」を典拠としています。
称号の浩宮についても同じ「中庸」から用いられています。
皇族の方の名前の由来は、下記のように報道されています。
引用は朝日新聞デジタルからです。
3人の学者が協議して候補を選び、その過程で皇太子ご夫妻の意見を反映。
最終的に三つに絞られ、ご夫妻が両陛下と相談して決めた。
「眞」には「まじりけがない、しぜんのまま、ありのまま」の意が込められている。
「天性のものを失わず、自然に飾ることなく、ありのままに人生を歩むよう願って」命名された。
身体が健康であるだけでなく、素直で思いやりのある、心身ともに「佳(よ)い子」に育ってほしいとの願いを込め、ご夫妻が命名した。
長女・眞子さまと同様、名を二音にしたいとの希望もあったという。
このように「古代中国の儒教の教典」をベースにしながら、思いや願いが込められているようです。
伝統や慣習で定められている部分が多く、今後もそれを踏襲していくと思われます。
「令和」は誰が決めた?
今回の新年号「令和」を決めたのも、天皇陛下です。
これは平成時の天皇陛下、つまり、明仁さまが決定しています。
ただ、あくまでも行うのは「決定」であり、天皇陛下自ら、漢字を組み替えたり・・・ということはありません。
順番としては、政府が内密に数名の学者に案を提出してもらい、有識者による「元号に関する懇談会」でさらに提案。
そこで一定に支持された案が天皇陛下の元へ渡り、最後の決定が行われました。
まとめ
今回は、
●令和天皇の本名とフルネームは?
●令和天皇の即位後の呼び方は?
●令和天皇の名付け親は誰?
これらについてまとめました。
以上となります。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
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