2013年に公開された映画「風立ちぬ」。

 
宮崎駿監督のジブリ作品であり、実在の人物である堀越二郎をモデルにしたことも大きく話題になりました。

 
物語上に登場する二郎の恋人、里見菜穂子は結核に侵されており、治療する場面がありました。

 
寒い中で病院(療養所)の外にベッドを置いて寝ているシーンは、現代の我々の感覚では疑問に思うことでしょう。

 
今回は風立ちぬの菜穂子が病院(療養所)の外で寝た理由を深堀りしていきます。

 
 

風立ちぬの菜穂子の持病「結核」とは?

死を招く危険な感染症

風立ちぬに登場する里見菜穂子は結核という持病を持っています。

 
結核は結核菌により引き起こされる感染症をさし、世界保健機関 (WHO) の調査ではHIVの次に死者の多い感染症とされています。

 
具体的な症状では「炎症→化膿→臓器破壊」と進んでいき、最悪の場合は死を迎えます。

 
感染者がくしゃみをすると別の人に結核菌がうつる可能性もあります。

 
日本では結核の80%が肺結核といわれています。

 
結核による死者の数は、先進国の日本では少なく、全体の95%が発展途上国にあたり、15〜44歳女性の死因で上位5番以内に入っています。

 
2017年では世界で160万人が結核により死亡したとされており、非常に危険な感染症です。

 

日本でも1900年代に流行した

先進国の日本では結核は珍しい病なのに、なぜ菜穂子は結核なのか?

 
その答えは「時代」にあります。

 
今でこそ日本は先進国となりワクチン等が普及していますが、昔は結核を治すことができないことから「国民病」と呼んでいました。

 
1899年に国内で初めて結核に関する統計調査がおこなわれ、1900年以降の「原因疾患別死亡者数」の調査では下記の通り、結核での死亡者数は常に上位に位置しています。

 

年代結核による死亡者数備考
1900年2位
1920年3位風立ちぬの時代
1930年3位
1940年1位
1950年1位
1960年7位
※1900〜1960年までを記載

 
風立ちぬの時代は1920年〜1930年頃と、当時では結核は珍しくない病気であり、菜穂子や周囲も人々もそのように認識していたはずです。

 
少し時代が後になりますが、1934年には結核で13万人が死亡し、当時の10世帯に1人の割合で死者が出ていました。

 
結核に関する治療方法が確立したのは1950年代であり、抗生物質であるペニシリンによる化学療法が大きく進んだのが要因です。

 
現代では予防策としてBCGワクチンの摂取やツベルクリン反応検査なども普及したため、結核による死者数は2010年で2,100人と大きく減少しています。

 
風立ちぬで菜穂子が結核となったのは、時代背景を考えれば決して珍しいことではありませんでした。

 

風立ちぬの菜穂子が病院の外で寝た理由は?

当時は最善の治療法

結核の具体的な治療法が確立されたのが1950年代です。

 
1920年〜1930年当時を描いた風立ちぬの時代では、効果的な治療方法がないため、結核の場合は「外の新鮮な空気を吸い、安静を保つ」ことが最善の方法でした。

 
日本人のおよそ80%は肺結核といわれるものであり、最初は肺の炎症から始まります。

 
菜穂子も例外ではなかったため、肺を綺麗にするために、外に出て新鮮な空気を体内に取り込みたかったのでしょう。

 
また、強制的な日光浴により、紫外線に弱い結核菌に対抗する意味合いもあったようです。

 
作中に出てくる療養所は別名「サナトリウム」といわれています。

サナトリウムとは?
長期的な療養(結核等)を必要とする人のための療養所。

結核治療のため、日当たりや空気など環境の良い高原や海浜に建てられることが多い。

日本での最初のサナトリウムは明治20年(1887年)、鎌倉由比ヶ浜に建てられた結核療養所「海浜院」、最大規模のものは茅ヶ崎の南湖院とされる。

 
サナトリウムは、日当たりが良い場所、空気が澄んだ高原や海辺に建築されることが多いです。

 
風立ちぬのサナトリウムも自然に囲まれている様子であり、好環境であったことは間違いありません。

 

寒い中で寝る理由も治療だった

多くの患者が寒空の下で外にベッドを出し、寝袋・毛布で体を覆って寝ていました。

 
当時の現状を知らないと、「なぜ寒い中寝ているのか?」と思いますが、当時は最善の治療法であり、気候関係なく外に出てていました。

 
作中で菜穂子自身、病院に行くと切り出して、

 

「私、治りたいの。二郎さんと一緒に行きたいの」

 
と話しており、誰もがその方法で治療していたということでしょう。

 
そのシーンを振り返ると、空からは雪が降っており、吐く息も白いです。

 
菜穂子も朝方に施設から飛び出しますが、かなり雪が積もっており、コート・マフラー・帽子をかぶっていましたね。

 
それ程までに寒い場所で一晩を過ごすのは非常に体力的にもしんどく、精神的にも辛かったと想像できます。

 
もう一方で、結核は感染症であり、他人にうつすことを避けるため、結核患者だけを隔離するという目的もあったようです。

 

風立ちぬ菜穂子の治療の名称は?

大気日光療法が一般的な名称

菜穂子が実際に行っていた治療方法は、正式には「大気日光療法」といいます。

 
慶応大学の機関誌「三田評論」にも1920〜30年代を振り返る文章に、

 

時は結核に有効な薬の無い時代である。

八ヶ岳を望み、病室を開け放って日光を浴び、大気を取り入れる大気日光療法は評判となった。

 
と記載されています。

 
これは、当時は不治の病といわれた結核治療の「大気開放安静療法」と「日光療法」を併せたものです。

大気開放安静療法とは?
大気=外の新鮮な空気、をきちんと体内に取り入れ、安静にすること。

結核は肺結核の患者がほとんどであったため、肺の中を自然の空気で綺麗にしていくという目的があった。

日光療法とは?
強制的な日光欲により、紫外線に弱い結核と対抗すること。

また、紫外線を浴びることで体内にビタミンDを生産し、抵抗力をあげる意図もあった。

 
つまり、大気日光療法とは「新鮮な空気を吸って、きちんと日光を浴びよう」というものです。

 
現在の人から見えば「ただ外で寝ているだけなのでは?」と疑問に思うかもしれません。

 
しかし、冒頭でも述べた通り、風立ちぬが舞台となった当時は投薬や手術により治療できるものではなく、

 

戦中は勿論、戦後も暫くの間は結核に対する特効薬はなく、

治療法とされたのは、「大気、安静、栄養」という自然療法だけであった。

 
と医学雑誌でも明記されています。

 

気候療法の可能性もある

菜穂子が行った治療は、気候療法の可能性もあります。

気候療法とは?
日常生活と異なった気候環境に転地して疾病の治療や休・保養を行う自然療法の一種。

気候の変化を伴う転地により、①生体に有害な気候環境から患者を隔離・保護(気候的保護作用)、

②新しい気候の刺激に反応して生体機能が刺激を受けて変調し、

疾病の治癒を促進したり健康の増進を図ったりするもの。
(wellnessdevelopment.co.jp)

 
こちらも大気日光療法と大枠な部分では似ていますね。

 
しかし、気候療法は「気温、湿度、気圧、風、太陽光などの自然の環境因子」から刺激をもらうことを目的としており、より幅広い方法で自然治癒を行うようです。

 
治療の条件にも軽度の寒冷や、直射日光や強風が少ない屋外があげられています。

 
他にも、気候療法は運動、水治、物理療法などを併用する複合療法であるため、外部と内部の双方から治癒していくのでしょう。

 
作中では菜穂子は外のベッドで寝ているシーンしかない(その上、翌朝には施設を出て行った)ので、気候療法のような総合的な治癒は試されていないと推測できます。

 

風立ちぬ菜穂子の治療に効果はあるの?

では、結局のところ、菜穂子が行った治療に効果はあるのか?

 
残念なことに効果はほとんどありません。

 
当時、結核は不治の病と呼ばれており、きちんと治した人はほんの一握りだったようです。

 
これは医学雑誌に下記文章が掲載されています。

 
タイトルは「有効な治療薬のなかった頃の肺結核症の経過とその治療の思い出」とあり、菜穂子の設定の時代と同じです。

 

化学療法が確立されるまでは、患者の死亡間までの療養期間に長短の違いはあっても、

殆どの患者は亡くなっていったという感じで、「生き残った人は幸運に恵まれた人といわれたくらいであった」。

 
現代では当たり前のように投薬が行われていますが、当時の人の感染症との闘いは非常に厳しいものでした。

 

まとめ

今回は、

 
●風立ちぬの菜穂子の持病「結核」とは?
 
●風立ちぬの菜穂子が病院の外で寝た理由は?
 
●風立ちぬ菜穂子の治療の名称と効果は?

 
これらについて深堀りをしてみました。

 
風立ちぬは、今とは時代背景が異なり、ジブリ作品の中でも日本の歴史がわかる作品です。

 
特に、菜穂子が結核と闘いながらも生きていく姿に心打たれました。

 
今では治療が確立された結核ですが、これは過去の人びとが築いてきた結果であり、日々感謝をして生きないといけないと感じました。

 
 
以上となります。
 
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
 
 

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