2019年6月7日に実写映画『アラジン』が公開されました。

今回の実写版では物語の結末がアニメ版と少し異なっています。

アラジンがジーニーへする最後の願い(=3つ目の願い)がポイントになり、結末の違い表現されていますね。

今回は、映画「アラジン」の実写版とアニメ版の"最後の願い"と"結末の違い"について深掘りしていきます。
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実写映画『アラジン』ジーニーの最後の願い


実写映画『アラジン』では、アラジンが最後の願い(=3つ目の願い)でジーニーを人間にします。

これはジーニーがアラジンと出会った当初に伏線が張られていました。

ジーニーは初対面の段階でアラジンに対して、「自由になりたい」「人間になりたい」ということを打ち明けていました。

これまでジーニーが対面してきたランプの主人は欲に目がくらみ、誰もこのようなジーニーの本心には気づくことなく、願いを3つ叶えて関係を終わりにしていたのです。

アラジンと出会ったジーニは彼に非常に仲良く接していきます。

理由こそ明確に描かれていませんが、アラジンは他の主人と違い、欲を目的にランプを手にしたわけではないため、ジーニーも安心していたのでしょう。

ジーニーとアラジンの関係

アラジンは善人であるため、そのような雰囲気もジーニーは察したのではないでしょうか。

ジーニーがアラジンを信頼しているとわかる点は下記3つです。

・ジーニーの人生の中で初めて「友人」という言葉を使った

 

・意識がないアラジンを海の中から率先して助けた

 

・ジャファーに支えていたときもアラジンにアイコンタクトをした

 

特に3つ目のシーンでは、ランプの主人はジャファーであるにも関わらず、お城の柱裏に隠れるアラジンに対して目でアイコンタクトを送っていますね。

これはアラジンがジャファーのランプを手に入れようとした際、"まだ行くなよ"という合図だったと思います。

このシーンはアニメでも描写されていますが、2人の関係性が出ていると思っており、「主人とランプの精霊」という関係でなくとも、ジーニーはアラジン側にいることを表現していました。

一方、アラジンもそんなジーニーに対して、徐々に友情が芽生えていきます。

アラジンがジーニーに対して友人であること隠喩させる描写やセリフはないですが、会話をしていくうちに徐々に距離感が近くなっていきます。

アラジンは当初、最後の願いでジーニーに自由を与える予定でしたが、偽りの王子である不安から、願いを使わずに取っておくことを選択します。

しかし、最後は、ジャファーの欲にくらんだ姿を反面教師にして、本来の自分を取り戻すのです。

そして、ジャファーをランプに押し込んだ後、ジーニへ最後の願いを伝えます。

最後の願い

実写版では「ジーニーを自由にして、人間にすること」が最後の願いになっています。

ジーニーは驚きながらも、主人の願いを叶える必要があるため、自らを人間した後、アラジンと熱い抱擁をかわすのです。

演出的な部分をいうと、ジーニーの青い肌は人間の肌になり、巨大化(CG)もなくなり、等身大のウィル・スミスに戻っていきました。

そして、人間となったジーニーは、ジャスミンの支いであるダリアと結婚を果たし、数年後に船で世界旅行へ飛び出したのでした。

船旅のシーンは、映画冒頭に映し出されており、人間となったジーニーが2人に子供に過去を回想する形で本編が進んでいくのです。

アニメ版『アラジン』ジーニーの最後の願い

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アニメ版のジーニーは、実写版のラストと異なります。

アニメの方が1992年公開と27年前に公開されており、こちらが原案であることは言うまでもありません。

アニメ版では、アラジンがジーニーへ頼む最後の願いは、シンプルに「ジーニーに自由を与えること」でした。

この願いには人間になることの要素は加わっていないため、ジーニーの両手首についている金の手枷が取れて完了となります。

ジーニーの容姿はそのままであり、肌は青く、魔法も継続して使うことができています。

アニメ版では魔法が使えるため、船ではなく空を飛びながら世界中をまわる旅に出発して、物語が終わります。

アニメ版には続編として『ジャファーの逆襲』が公開されています。

そこではジーニーが世界一周をし終えて、帰ってくるところから物語がスタートします。

魔法もそのまま使えるため、それでジャファーに対抗してくのです。

【実写とアニメの違い】ジーニーの最後の願いと結末

実写版、アニメ版では最後の願いの内容が少し違うため、そのまま結末も異なっています。

ポイントは、アラジンがジーニーにする最後の願いに「人間」の要素が入っているか、いないかの違いです。

実写映画

実写版では「自由+人間」が最後の願いになったため、ジーニーは、

・ウィルスミス等身大の人間の姿になる
・肌の色も青ではなくなる
・魔法は使えなくなる
・船で世界をまわる旅に出ている

このようになります。

さらに、人間になったことで、想いを寄せていたダリアとの関係も発展し、交際→結婚をして、子供たちと一緒に船で旅に出ていますね。

アニメ版映画

一方、アニメ版では「自由」のみに重きを置いているため、

・ジーニーの手枷が取れる
・ジーニーの姿はそのまま(肌も青いまま)
・魔法はそのまま使える
・空を飛びながら世界をまわる旅に出ている

ランプ精霊という設定だけがなくなり、あとはそのままのジーニーなのです。

実写とアニメの違いまとめ

実写とアニメの最後の願いや結末についての比較はこちらです。

-実写アニメ
最後の願いジーニーに自由を与えるジーニーに自由を与える
+人間に戻す
ジーニー容姿変化なし人間となる
ジーニー魔法使える使えない
旅の仕方魔法で空を飛ぶ船で海を渡る
結婚しないダリアと結婚
子供いない2人(姉・弟)
また、アラジン2にあたる『ジャファーの逆襲』では、魔法がまだ使えるため、すぐにアラジンの元へ戻ってきますね。

しかし、実写版ではジーニーは人間に戻ってしまっており、続編がどのようにして制作されていくのかが気になりますね。

実写版「アラジン」の続編の公開日を予想しました。もっと詳しく知りたい人はこちらをどうぞ。

実写映画『アラジン』ジーニーが人間になった理由を考察

実写映画『アラジン』では、ジーニーは、アラジンの3つ目の願いで人間になります。

前の項目で述べている通り、ここで「人間」になるのは実写映画のオリジナルの要素であり、アニメには描かれていません。

鑑賞した人の感想を聞くと、ジーニーが人間になる理由について疑問を持っている人も少なくありません。

よく聞く主張としては、

・人間の醜い欲を見てきたジーニーが人間になるのは矛盾

 

・ランプの精霊と人間の友情がアラジンの醍醐味であり人間になることへの違和感

 

・人間至上主義という身勝手な結末が描かれている

 

このような内容になります。

現時点では、ジーニーがなぜ人間になりたかったのか、その理由は明かされていません。

ランプの魔神から自由になること=人間という考えですが、アニメ同様に手枷を外してランプの魔神のまま自由になる結末もあったでしょう。

この結末が描かれた理由までは明らかにされていませんが、実写のオリジナル要素を追加したかったのかもしれません。

また、ウィル・スミスという超人気俳優を起用しているため、一度くらいは本人の姿で登場させた方が良いのでは?という意見もあったのかもしれませんね。

まとめ

今回は、

●実写映画『アラジン』ジーニーの最後の願い

●アニメ版『アラジン』ジーニーの最後の願い

●【実写とアニメの違い】ジーニーの最後の願いと結末

●実写映画『アラジン』ジーニーが人間になった理由を考察<

これらについてまとめました。
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