ドラマ「集団左遷」が放送され、作中に出てくる「三友銀行」に注目が集まっています。

すでに廃店が決まっており、「ダメ社員」が集まっているという設定ですが、三友銀行のモデルは気になりますね。

今回はドラマ「集団左遷」に登場する三友銀行について深堀りしてみました。

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ドラマ「集団左遷」 三友銀行 概要

まずは三友銀行の概要から深堀りしてみましょう。

ドラマでは「蒲田支店」としか詳細の説明がありませんが、原作では行員数や売上について細かい記載があります。

原作は「飯田橋支店」と地域や周辺企業の数から考えても蒲田支店よりは規模が大きそうですが、大きな参考になることは間違いありません。

・従業員数:33名(支店長含む)
・預金残高:625億円(目標は1,000億円)

預金残高625億円が高いか低いかはわかりにくいですが、原作では隣駅の四谷支店がおよそ1,400億円という記載があり、駅の規模の差があるとはいえ、かなり突き放されています。

しかし、これからの金額は原作が発売された1992年当時の社会情勢であり、現代では当てはまらないのかもしれません。

一つの参考にする程度に留めた方が良さそうです。

ドラマ「集団左遷」 三友銀行 モデルはどこ?

「三友銀行」のモデルについて考察をしていく、主に4つの銀行が当てはまりました。

・三菱UFJ銀行
・三井住友銀行
・住友銀行(※三井住友銀行の前身)
・三井銀行(※三井住友銀行の前身)
・城南信用金庫

上2つは現代でも利用者数が多く、メガバンクに位置される銀行のため、名前を知らない人はいないでしょう。

下2つはいずれも現在の三井住友銀行の前身の銀行であり、多くの合併を繰り返して現在の姿になっています。

残りの「城南信用金庫」については後述いたします。

それでは、そろぞれについて考察をしていきます。

三友銀行 モデル「三菱UFJ銀行」

ドラマでの撮影もあり、三友銀行にロゴマークが完成しています。

そのロゴマークをみていくと、非常に「三菱UFJ銀行」に近しいのです。

銀行カラーも赤であり、外観も含めてかなりイメージが似ていますね。

それぞれのマークを見ていきましょう。

●三菱UFJ銀行 ロゴマークと外観

赤を基調にしたデザインであり、赤い円の中に赤い●の球体が入っていますね。

銀行のATMを利用した方であればわかると思いますが、外観も基本は赤で統一でされています。

では続いて、三友銀行のマークと外観をみていきましょう。

●三友銀行 ロゴマークと外観

三友銀行のマークを見ると、赤背景に白字、さらには円の中に「三」の文字が入っており、かなり似ています。

三菱UFJ銀行は日本で一番売上が大きい銀行であり、つまりは、日本で一番国民に浸透している銀行でもあります。

ドラマの視聴者からすれば自分が使っている銀行がモデルになっているのは、悪い気はしないと思いますし、潜在的にそれが視聴率につながる可能性もあります。

100%とは言い切れないですが、外側だけを見ればまちがいなく、三菱UFJ銀行ですね。

ちなみ、2つ目の外観写真はロケ地であり、こちらは新宿のクイントビルになります。

新宿の代々木の間という好立地のため、支店ではなく本部のシーンなのでしょう。

住所は「〒151-0053 東京都渋谷区代々木3丁目22−7」となっています。

ファッションで有名な文化服装学院の隣に位置しています。

●新宿クイントビル 場所

三友銀行 モデル「三井住友銀行」

逆に、ネーミングだけで考えれば、メガバンクの一つである「三井住友銀行」も有力です。

●三井住友(みついすみとも)

●三友(みつとも)

上記の通り、中の「井」と「友」を抜いた形ですね。

これだけ見れば、「三井住友銀行」で決まり!!と思う人もいるかもしれませんが、原作を読み解くとそうでもなさそうです。

三友銀行というネーミング自体はドラマのオリジナルではなく、1992年に発売された原作「銀行支店長」から変わっていません。

名前が似ているという理由であげた「三井住友銀行」ですが、実は発足は2001年、当時の住友銀行とさくら銀行が合併して出来上がっています。

つまり、ネーミングモデルと思われていた「三井住友銀行」よりも、フィクションですが、三友銀行の方が早く世に出ていることになります。

明らかに時系列が逆ですので、「三井住友銀行」が元ネタという線はなくなりましたね。

三友銀行 モデル「住友銀行」

しかしながら、「三井住友銀行」の前身にあたる「住友銀行」の可能性はありますね、

理由は、住友銀行は1986年に平和相互銀行と合併をしていますが、その仕方が原作の三友銀行と非常に似ているからです。

住友銀行が平和相互銀行と合併した際、合併後は「住友銀行」となり半ば吸収合併のような形でした。

中に社員の方の反動もあり、ガツガツ系で利益を重視する住友銀行の社風に平和相互銀行側が馴染めずにいたという話もあります。

原作の中でも三友銀行が大昭和信用金庫を吸収合併しており、「三友系」「大昭和信金系」と派閥が分かれているシーンが描かれています。

かなりノルマにも厳しく収益をとにかく高めることに躍起になっており、その姿勢も物語と関連する部分がありそうですね。

以下の時系列で合併が行われており、現在の「三井住友銀行」の前身であることがわかりますね。

三友銀行 モデル「三井銀行」

また、合併つながりで考えれば、原作を読んでいくとヒントになる描写が隠されていました。

原作のストーリー設定は、三友銀行系の支店長・片岡が”難民キャンプ”と揶揄される飯田橋支店(大昭和金庫の元本店)で悪戦苦闘するという内容です。

仕事のできる片岡が疲弊するのも、元大昭和金庫の社員が9割以上を占める視点で敵対視されることが原因でした。

つまり原作に出てくる「三友銀行」のモデルでは、1990年前後に一定の合併を経験していることになります。

原作の発売が1992年であるため、そこから逆算していくと、一つの有力なモデルが浮かびあがりました。

1990年に三井銀行は、規模を拡大する意図で太陽神戸銀行と対等合併をしています。(行名は太陽神戸三井銀行)

三井銀行は財閥系で規模も大きく、三友銀行と同じ「三」の文字が使用されています。

規模では太陽神戸銀行の方が大きいですが、こちら本社は兵庫県です。

原作では主人公・片岡が都内の本社に呼ばれるシーンがありますので、わざわざ関西をホームにする企業を描かないでしょう。

さらに!

実は、原作者の江波戸哲夫さんは、三井銀行を退職して作家になった経緯があり、内部の状態はかなり詳しいはずです。

同じ銀行系の原作では、池井戸潤さんが銀行内部の話をベースに「半沢直樹シリーズ」を刊行して大ヒットしましたね。

今回は江波戸哲夫さんが当時の銀行の出来事ベースにされている可能性はありますね。

三友銀行 モデル「城南信用金庫」

最後に、「城南信用金庫」にも触れないわけはいきません。

「城南信用金庫」はドラマのロケ地に採用をされていますね。

こちらは実際に運営されている店舗であり、もしかしたら店舗をお休みにして撮影したのでしょうか。

以下が実際の場所です。

こちらのロケ地はいうまでもなく蒲田支店のシーンでしょう。

福山雅治さんが蒲田にいる・・・というのが想像つかないですが、ドラマの雰囲気はかなり伝わってきますね。

しかし、城南信用金庫がモデル、元ネタということはないでしょう。

あくまでも銀行がベースになっている話であるため、信金ではちょっとイメージが異なりますね。

集団左遷 ドラマのモデル銀行はみずほ銀行が最有力!

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しかし、原作とドラマは異なるもので、ドラマでは時代背景も原作とは異なり、全く別の三友銀行となっています。

公式ホームページに下記の年表が記載されていましたね。

三友銀行の歴史を見ていきましょう。

1873年に友沢興一という人物が日本で初の銀行 「第一友業銀行(のちの昭和友業銀行)」を設立したと記載されています。

この友沢興一のモデルは次の1万円札の肖像になる渋沢栄一で間違いないと思います。

渋沢英一も1873年に大蔵省を辞任し、第一国立銀行の総監役に就任し、後に頭取になっています。

つまり、第一友業銀行のモデルは第一国立銀行(のちの第一勧業銀行)で間違いないでしょう。

1968年には「昭和友業銀行(元第一友業銀行」、「三田山麓銀行」、「第一興業銀行」が合併し、商号を「三友銀行」となります。

福山さん演じる片岡支店長が所属する「三友銀行」は1968年から世に出ている設定のようです。

年表にある「いざなぎ景気」は、1965年11月から1970年7月までの57か月間続いた高度経済成長時代の好景気期間の通称です。

この時期はエアコン、車、カラーテレビが新・三種の神器はと呼ばれており、消費に大きく経済を支えていました。

三友銀行は全三行が合併して設立されています。

・昭和友業銀行
・三田山麓銀行

・第一興業銀行

そして、先ほどの「渋沢英一」というキーワードから考察すると、これらの銀行はそれぞれ下記の実在した銀行がモデルでしょう。

・昭和友業銀行:第一勧業銀行
・三田山麓銀行:銀行富士銀行
・第一興業銀行:日本興業銀行

そして、上記三行(第一勧業銀行、銀行富士銀行、日本興業銀行)が合併して誕生したのが、現在の「みずほ銀行」です。

より正確に説明すると、2002年の合併時にできたのはみずほ銀行とみずほコーポレート銀行です。

そして、腫れて2013年に両銀行が合併し現在のみずほ銀行となります)

三友銀行の時代背景を話しを戻すと、2008年のリーマンショックの影響が非常に大きく、今回のドラマでの「リストラ」につながっているようです。

近年は現金そのものは不要な世の中になっており、また、銀行以外の場所で融資等を行う手段も増えていきました。

大手銀子も2019年に入り新卒採用を大幅に減少させるなど対策を練っており、三友銀行も同じような時代背景で模索しているように思えます。

ドラマ「集団左遷」銀行モデルまとめ
・三友銀行:みずほ銀行

・第一友業銀行:第一国立銀行

・昭和友業銀行(元第一友業銀行):第一勧業銀行(元第一国立銀行)

・三田山麓銀行:富士銀行

・第一興業銀行:日本興業銀行

集団左遷 三友銀行の頭取のモデルは?

それでは、今作で登場する三友銀行の頭取・藤田(役:市川正親)は、みずほ銀行の頭取がモデルなのでしょうか。

2019年現在、みずほ銀行の頭取は藤原弘治さんです。

藤原弘治さんは1961年6月29日の58歳。

早稲田大学出身で、大学卒業後に第一勧業銀行に入行してキャリアをスタートさせています。

先ほど触れましたが、第一勧業銀行はドラマでは昭和友業銀行とされています。

しかし、ドラマの三友銀行頭取・藤田は、大昭和銀行出身とあり、昭和友業銀行ではありませんでした。

つまり、若干ですが、出身銀行には違いあり、ピタリとしたモデルはいないと予想します。

みずほ銀行の藤原頭取は2017年4月に就任されていますが、ドラマでの藤田は最近になってから頭取になっている感じもしますね。

また、三友銀行が合併吸収した大昭和銀行のモデルですが、1920年~1940年に存在した昭和銀行であるという声があります。

昭和銀行は、みずほ銀行の前身の一つである富士銀行の前身となる銀行です。

つまり、昭和銀行は、富士銀行→みずほ銀行の順番に吸収されていき、形を変えていきました。

日本のおける銀行は縮小傾向にあることは間違いないため、集団左遷でもリストラがどのように終着していくかは注目です。

まとめ

ドラマ「集団左遷」の三友銀行のモデルについて調べてみました。

名前からすれば、「三井住友銀行」ですが、原作当時は存在していませんでしたね。

過去の銀行の歴史を見れば有力な候補もあり、モデルや元ネタを探りながらドラマを見るもの一つの方法かもしれません。

ドラマの放送とともにチェックしていきたいと思います。

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